『きちっと腰腹(ようふく)の中心に力をまとめた時、私は忽然として全く自我を離脱して清浄悠久の涅槃境に入った。地球の呼吸は私の呼吸と全く一致した。
地球はあたかも活けるものの如く、我々はあたかも生なきものの如く、まさにこれ人牛忘の域だ。深く千尋の海底にでも在るが如く、遠く永劫の世界にでも住むかのようである。
かすかに小鳥のなく音が聞こえる。目を上げると海、山、原、林、一切は輝く。みんなこぼれるばかりに光を被っている。その美しさ!その気高さ!その清らかさ!オオきれいだなァ!!!
人工を加えたダイヤモンドをこんなに惜しげもなくバラ撒くとしたら大変だろうと、私はただ恍惚として驚くべき真自然の光景に眺め入った。
実にや、これこそは真健康を以て見る自然の真実であろう。この真自然の絶美と、これを楽しみうる正中心とを、天ははすべての人に恵ませ給う。讃うべきかな、誠の神!』
『刮目(かつもく)すれば・・・・・オォなんというすばらしい美しさだ。なんという神々しさだ。枝を差し伸べた青木
は・・・・・その平凡なありふれた木の枝までも、ゆらゆらと微風におののいて神々しく、祇園精舎の菩提樹にさも似たり。
満目の光景ことごとく新たなる装いを凝らし、あたり一面に白紫紅の宝石をちりばめたように美しく輝いた。私の心は灼然として燃え上がった。その新世界の崇高壮麗なよりも・・・・・身よ我が正中心を・・・そのまま燦然としてダイヤモンドの神殿ではないか。
オォ嬉しい。かたじけない。いにしえの釈尊がかつ然として大悟徹底せられたとき、天地の万象は燦然として光り輝いたというが・・・・・またソクラテスは、3日間ギリシャの原野に佇立したまま瞑想を凝らし、東天微光を呈したとき、忽として悟得し、欣喜雀躍したというが・・・・・乞う、私の不遜を寛恕せられよ。
これ以上の美しさ、これ以上の嬉しさであろうか。いやこれ以上の嬉しさがこの世の中にまたとあり得るであろうか』
『 鉄人を創る肥田式強健術』 より
これは、肥田春充(ひだはるみち)が、正中心を決めた時の様子を述べたものですが、実際には誰の目にも見えるはずの光り=世界のオーラのことです。
制限をうけている現在の普段の人間にはみえない世界を垣間見たということでしょう。
思うに、来るべき黄金の世はこのように美しい世界が誰にでも見えるようになるのだろうと思います。
ひふみ神示にも
・世が変わりたら天地光り人も光り草も光り・・・
・お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶のようになるのぞ。
とあります。半霊半物質の黄金の世界になるのですから、当然といえば当然です。