『道』真ん中にしてワとなりとは?

  『ひふみ神示』 ソラの巻 第二帖 に次のような一文があります。

 

『ひふみゆらゆらと一回二回三回となえまつれよ、蘇るぞ。

次に人は道真ん中にしてワとなり、皆の者集まりてお互いに拝み、中心にまつりまつり結構ぞ、節分からでよいぞ。

 

このお道の導きの親尊べよ、どんな事あっても上に立てねばならんぞ、順乱しては神の働きないと申してあろうがな。

 

直会には神の座上につくらなならんのざぞ、神人共にと申してあろうがなまだ判らんのか、順正しく礼儀正しく神にも人にも仕えまつれよ。束ねの神は、束ねの人は後からじゃ、後からでるぞ。』

 

 ここで、私の言わんとする所は、『』の事です。

道を真ん中にするとは、どういう事でしょうか?

 

そんなことできません、『このお道の導きの親尊べよ』まで来ると、道が人を指していることが分かります。

要するに、この道は、私の名前道廣の『道』のことであり、導きの親とは艮之金神様(国常立大神)の事なのです

 

さらに、『元の生き神様御一方お力出しなされたら手も足も出んことになるのじゃ・・・中略・・・ 震え上がるぞ。理(みち)が神ぞ。理が神の御用ざと申してあろうがな』  『ひふみ神示』 上巻P498 とあります。

 

理が神というのは、いかにも不自然であります。どうみても私から見ると道広に思えてなりません。

何が何でも、私の自覚を促す金神様の手立てであったのです。

 

 『次の四(よ)の種だけは字に埋めておかねばならんのざ』 『ひふみ神示』 上巻P144 とはこの事だったのです

▲このページのトップに戻る